テッド・チャン情報メモ

漢字についての考察
(2016/6/14)

 

少し前にネットに出た、テッド・チャンさんのThe New Yorkerへの寄稿記事の感想です。いろいろ話が広がったので長いです。すいません(^^;)。出た当日に読めて感想メモもしていたのですが、なかなか時間が取れず整理がずれ込んでしまいました。鮮度が落ち、あちこち話が広がってまとまっておりませんが、メモとして残します。元記事はこちらです。

Uninvent This MAY 16, 2016 ISSUE
Bad Character BY TED CHIANG

チャンさんの意見に違和感を覚えたのはほぼ初めて。ちょっと穿ちすぎかもしれないですが、もしかしたら、これは映画化される『あなたの人生の物語』が漢字からの発想を連想させるもので、かつ書いたご本人が中国系であるために寄せられそうな質問への先回りした回答だろうか? というのが、一番強く感じたことでした。個人的には、テッド・チャンさんを(外見を別にすれば)中国的だと思ったことは一度もないんです。少なくとも書かれたものや、唯一の生で拝見する機会だった横浜ワールドコンでのトークの印象は、物腰は穏やかなものの、思考は「100%アメリカ人」と感じました。今回の記事はそれがすごく表れているとも言えるし、少々欠落しているものを感じて、ちょっといつものチャンさんらしくないとも感じました。

ざっくりまとめると、チャン氏はこのコラムの中で、中国が伝統を重んじるのは古い中国語の文書が漢字で書かれているためだと言います。そして漢字は表音文字ではないために発音の変化の影響を逃れることができ、のちの時代でも容易に読み解かれ、そのために古い価値観が今でも生き残り、中国が近代性を取り込む妨げになっていると指摘します。(……そうかなあ?)
そして古い価値観が生き残る度合いがアルファベットを使っている文化圏より大きいのは、アルファベットは表音文字であり、発音は時代により変わるので、のちの時代に古い文書を読み解くことがより難しいからだと言います。(……そうかしら???)

この記事で、チャン氏は一度も表意文字(ideogram)にあたる表現を使っていません。中国文字(漢字)が表音的でない、という点を基盤にしていて、文末では自分などが普通に理解している漢字についての「誤解」を列挙しています。その部分だけ、少しはしょって拙訳します。(カッコ内は自分の書き足しです)

もし中国語が表音文字の言語だったら……なんて想像することに意味があるかわからないけれど、もしそうだったら漢字に関する誤解をこれ以上聞かずにすむだろう。漢字は「小さな絵」(表形文字?)だとか、意味を直接表しているとか、"crisis"(危機)を表す漢字は"danger"(危機) と "opportunity"(機会) の両方を表す(「機」の使用例のことかな?)とか――少なくともその点はほっとするところだ。

――という結びなのですが――ええっ、そうですか?全部当たってると思ってたけど勘違いですか?(^^;)

…ここを抜きにしても、全体を通して私の目には、チャン氏ともあろう方がずいぶん荒っぽい論旨の組立をしているように見えました。中国語に対する評価がというより、それを中国が西洋的な近代化をなかなか受け入れてこなかった理由としているところが飛躍しすぎな感じで。これまでのチャン氏の記事なり発言なりを見てきた延長で考えると「そんなはずがない。私が読み違えてるんだ」と思いました。で、読み直したんですけど、やはりそういう印象は変わりませんでした。しかしこの割り切り方はとても「アメリカ人」的だ、とも思うのです。なにかこういうことを書くきっかけが(依頼されたから、というのは別にして)あったんじゃないかなー、と思わせる感じさえありました。

昔、ほんの少しだけ中国語を勉強したことがありました。たしか中国語にも表音用の当て字はあり、それで外国人の名前や外来語に対応していたはずです。(あとで確認します(^^;))
アルファベットと漢字(そして日本人の漢字+仮名のミックス)による違いが、別の文脈から個人的に興味を持っていたことと重なるので、少し横道ですが思い出したことを書きます。

アルファベットを使う文化圏の人と、漢字を使う文化圏の人では脳の使い方が違うんだそうです。(典拠はプルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?)これによると、中国人と日本人(漢字+仮名)でも違うそうです。使う文字によって、脳の日常的に使う領域が異なるのはとても面白いと思います。(これを「どちらが優れているか」という、硬直した小さな概念に落とし込むことはしたくないです。単にそれぞれの特徴を知り、自分が当てはまるパターンを自覚し、異質なものと向き合うときの理解の助けとしたいです。なかなか自覚できるものではありませんが)

チャン氏は子供の頃通わされた中国語の土曜学校で漢字に苦労した思い出を語り(土曜の朝にやってたアニメが見られなかった、なんて話をしてます。こういうの見てたんですね(笑)。Wikipedia: Super Friends https://en.wikipedia.org/wiki/Super_Friends )、発音を頼りにできないと丸ごと暗記するしかない、としているんですが、そうかなあ?と首をかしげました。漢字は部首に意味があるので、漢字の記憶はある段階からはエピソード記憶に近いものになると思います。そこが覚える助けになって、図形として暗記する必要はないと思います。もちろん自分はそれに慣れているからかもしれませんが、同じアルファベットでも単語によって発音が違う英単語のスペルを覚えるほうがずっと難しく感じます。(チャン氏はアルファベットさえ覚えれば、新聞に印刷されてるほとんどすべての文章が読めるというのだけど、これはまったく同意できないです~!(^^;)ほんとにそうなら苦労してません!(笑))

でもこの認識の違いって、単純に「当たり前と思っている脳の使い方」の違い、ということかもしれないです。先ほど言及した通りに、言語のタイプによって使う脳の領域が違うとしたら。そのへん深く掘ってみたい気がします。使う文字によって認識の仕方が変わるというのは、まさに『あなたの人生の物語』に出てきたことでもありますよね。(だから、「来るかもしれない質問への先回りした回答」なのかな、と思えたんですよね。「漢字からの発想なのか? あなたは中国系だし」という短絡的な質問はありそうな気がする。そして漢字のデメリットをあえて指摘してみせているのが、ちょっと「そんなんじゃないよ」ってポーズに見えたんです(笑))

閑話休題、ものすごく単純に言えば、この記事でのチャン氏のビジョンは、西洋世界がたどっている進歩という縦軸に沿う傾向がある(いわゆるアメリカ的な、とも言える)、という印象を受けます。もちろんこの方がきっぱりと偏るということは少ないと思います。違う角度で見ることも必要によって使い分けるでしょうし。それでも、譲れない一線や思考の癖みたいなものは万人にあると思います。

またちょっと話が飛ぶのですが、ちょうどひと昔前の歴史家の論争の本を読んでいたので、そこでの論点と重なって見えました。本はハエとハエとり壷。その本は当時(1960年代頃)の有名知識人との対談などをまとめたものなんですが、対象はイギリスの哲学者と歴史家です。(今書いてるシリーズの参考にしてたら萌え対象になってしまった歴史家E. H. カーの対談も入っていたので、ミーハー的に手を出しました。奇しくもThe New Yorkerに連載された記事を改稿した本、ということでした。なんという偶然(笑))

すごく平たく言うと、歴史は決定論だけでも偶然論だけでもわりきれない、というところが歴史家さんの立場や論争のバリエーションを生んでいるのですが、その枠組みの余韻に浸ったまま今回のチャンさんの記事を読むと、氏が当然のものと捉えている進歩はとても実際的なもので、かつどちらかといえば……ものすごく乱暴に括れば、西洋の文化が一番進歩しているとして、もし違うところから始まったとしても似た経過をたどるだろう、という仮定を感じます。歴史観としては決定論に近い、と感じました。そこもちょっと「いつもの印象と少し違うな?」と違和感を感じたところでありました。その方向にもっていくにしても、間でなにかすっ飛ばしているような。

…でもいわゆる西洋的進歩への信頼・信仰(?)は、今の自分たち(日本に住んでる自分など)のほとんどが共有していることだと思います。川で洗濯するより洗濯機ですむほうが便利で進歩的だと思うし、歴史はその方向に進んでいくと信じています。(その方向の行き過ぎに歯止めをかける方法が今議論されている、とも言えるけれど、少なくとも洗濯機を捨てて川に戻ろう、というレベルの話ではないですよね)

それでも、今回はチャン氏の話の持っていき方に違和感を感じましたし、少し違う切り口でこの問題をより深く見てみたいとも思いました。前述の、言語の違いによる脳の使われ方の違いです。もちろん言語だけで脳が形成されるわけではないし、いろんな問題が絡んできます。たぶん認識論や脳科学だけでなく、経済や世俗権力の問題も。ちょっと広がりすぎるので、今回はこの方向、このへんでやめておきますね。(笑)

感想に戻ります。以前までに読んできたチャン氏の論考は、よく言えば慎重で論理的で穏当な一般論で、読むと正気を喚起されるようなすがすがしさがありました。同時に、あえて悪く言えば「常に正しい一般化されたアドバイスは、現実的な個別の問題には役立たない」の範疇を出ていないとも言えるかもしれない。(「アドバイス」ではないんだけれども、話のお行儀のよさがそんな印象)

今回は自分にとって違う感触の記事であり、とても面白く思うし、アメリカ人読者がこれをどうとらえているかも興味がわきました。…そこへ流れて来たのが「炎上」の記事です。チャン氏が書いた漢字へのツッコミ部分に対して反論があったことを紹介しています。

Firestorm over Chinese characters

たぶん、彼ら(チャン氏を含めたアメリカ人)にとって、現在の「中国」が持つ意味は以前とは少し変わってきていると思います。人間は社会環境の影響を受けるものだ、という認識は前述のE. H. カー氏の主張から強く印象付けられているのですが、それはここでも通用すると思います。中国は、数十年前の「中国」とは違うインパクトをアメリカ人に与えているでしょう。もちろん日本人にも。遡上に乗っている「漢字」がその「中国」の文字であることが、このトピックの扱われ方に影響を与えているように思います。そして今だからこそ、このトピックが取り上げられたのかもしれない。むしろそこが興味深いところかもしれないです。

(余談ですがこの記事のタイトル、もしかしてあとから編集部が変えたのではないかしら。kindleで読もうとPush to kindleでファイル化してダウンロードしたのですが、自動的についたタイトルがなぜかIf Chinese Were Phonetic(もし中国語が表音文字だったら)だったんです。アプリのからくりはわからないけど、元ファイルのタイトルかもしれない。こちらのほうが穏やかで、かつテーマに沿っていて、いつも論理的だけど単純な断言を避けるチャンさんらしい表現にも感じます。より過激に感じられる記事のタイトル……Uninvent this: Bad Character(「uninvent」は手持ちの辞書ではリーダーズ・プラスにしか載ってません。「=捨て去る、なかったものとみなす、廃止する」なので、漢字をbadな文字として「捨て去ろう」ってことですよね)は編集者がつけたタイトルではないかしら、とか思ったり。「炎上」した反論はおもにこのタイトルに表れた部分に対してです。話題性を狙ったのなら当たりだけど、チャンさんや老舗のThe New Yorkerがそんなことを狙うとも思えないなあ……)

おまけ:
ちょうどニューヨーカー誌のベテラン校閲さんのTED(これは公開講演のほうのTEDです(笑))抄訳トランスクリプトページをツイッターから知って読ませて頂いたので、リンクしておきます。寄稿記事にどの程度指示・修正が入るのか(そこは校閲でなく編集だと思いますが)は謎ですが、少しそれが影響した可能性、そして自分の読み込みが浅い可能性もまだ考えておりマス。なんかお門違いなこと書いてたらスミマセン。(^^;)

メアリー・ノリス ニューヨーカー誌が誇るカンマ・クイーンの重箱の隅をつつく栄光

 


 

『あなたの人生の物語』の映画版が"Arrival"というタイトルになり、フリー・スクリーニングが行われる、という情報を少し前に見たのですが、こちらもその後の情報を漁っていないので、そのとき見たリンクだけ。後手後手ですみません。(^^;)

‘Arrival’ (Story of Your Life) Free Advance Screening Passes in Los Angeles

↓こちらは今タイトルでググッたらトップに出てきた記事ですー。

Story of Your Life Might be Getting a Blander Title: Arrival

テッド・チャン情報メモインデックスへもどる