前言撤回します!Almost Perfect! …というわけで、前回の疑問点、半分くらいは鑑賞コンディションの悪さから来た集中力の欠如と「入り込めなさ感」…そこからくる不寛容な態度が原因と判明。リチャード・ドナーのスーパーマンへのオマージュである、同じ趣向のシーンが鼻につきすぎたのもそれが原因でしょう。結果、ドナー版と比べると…という目になってしまったようです。 自分に突っ込みいれるようですが、前回疑問だった点→今回認識を改めた点を書き出しますと…
→息子の「ごめんなさい」をママの「力を貸して」に対して「(できない)=ごめんなさい」、と取ればそれほどおかしくなかったです。たぶんそれまではただの虚弱児童(異星間混血の副作用?)で、母親の危機を見て突発的に力が目覚めた、という表現だったのでしょう。ピアノすっ飛ばしたあと、吸入器(?)を使わなかったあたりでそれが出てました。ただ、あくまで突発的なことだったんですね。だから意識してやろうとしても「(できない)=ごめんなさい」と。試してもみないでできないと言っているのはちと妙ですが、まあ自分のバカぢからにびっくりして戸惑っているということでスルーします。かわいいし(笑)できれば字幕でわかりやすく表現していただけたらモアベター…?(こんなミスリーディングしたのは私だけ?(笑)) >ロイスがクラークに冷たく当たるのが、彼とスーパーマンを同一視しているように見える。 →クラークとスーパーマンを混同していたのは私のほう(笑)。ちゃんとロイスは「クラークなんか眼中にない演技」で一貫していました。(でもちょっと意識してるかな)ひたすらゴメンナサイ。(^ ^;) >ルーサーの愛人キティーは、もうちょっと「悪女」のほうがルーサーとのバランスがよかったのでは。 →ルーサーは水晶で学習してからたぶん人が変わるんですね。悪のスケールがとてつもなくでかくなってしまう。最初はバランスがとれていたキティーもついていけなくなり、だんだんルーサーに対して恐怖を感じるようになる。そういう、ちゃんと理にかなった流れでした。ジーン・ハックマンのルーサーとミス・テッシュマッカ-の余韻がありすぎたですね。(^ ^;) >クラークがロイスやその婚約者リチャードに対して、無理をしてにこやかに接する…というような葛藤の描写があまりないので、終盤でスーパーマンがリチャードの手をとって救出するとき、スーパーマンが見せるちょっとした躊躇…これが活きない。 →躊躇なんぞしていない!あたりまえです!(笑)いや、不思議なんですけど、初回はリチャードの手を取る前にほんの一瞬躊躇する表情が見えたんですよね~。「なんだ、スーパーマンをずいぶん器の小さいキャラにしやがって!」とひそかにシンガー監督に毒づいてさえいたのですが…勘違いどころか脳内捏造でした。すんません。ひたすらすんません。なんか自分の目が信用できないよう…(^ ^;) >スーパーマンが病院に担ぎ込まれるのにもちょっと吹きだしてしまいました。 →まーいいじゃないか。アメリカ人には「おれたちのスーパーマン」なんだから、野暮なことを言うなよ。それよりスーパーマンスーツをひんむいてくれたドクターたちに感謝しようぜ?(笑)
→これはやっぱり妙でした。デイリー・プラネット社は取材してないのか? ロイスが「スーパーマンを取材する記者」でなく完全に親族の立場になっている。…ロイスとリチャードがスーパーマンを助けたことも、本人たちが言わない限りは誰にもわからないはず。(言いふらしてるとは考えにくい)あれでは全米公認? →まーいいじゃないか、野暮なことを言うなよパート2。 >編集長がロイスにスーパーマンの取材をしろとハッパをかけるところからしても、彼女とスーパーマンの内縁の関係(?)を察しているのは、あの時点でも婚約者のリチャードだけのはず。 →いや、編集長は感づいてますね(笑)。今回は180度印象変わりました。 >スーパーマンの入院中、クラークがいないことには社内の誰一人気づかなかったようだし…。 →まーいいじゃないか、野暮なことを言うなよパート3。映画のこの時点でそんなことにが気になってしまうのは、映画に入り込めなかった証拠。入り込めばクラークのことなんか忘れているはず。あれがベストの処理だとは思わないけど、あそこでクラーク云々を出したらストーリーの焦点がぼけてしまう。 >いちおう、ロイスとスーパーマンは和解した形で終わるけれど、見たあとになぜか爽快感がないのが残念。 →爽快感でなく余韻を狙ったエンディングでしょう。未決部分が残るのは「続編作りますよ感」見え見えでいいじゃないか!(笑) …他に、前回書かなかったですが「あなた怪我してるわ」と言われつつ微笑んで飛んでいくのはやりすぎで見ていて恥ずかしい…とかも「まーいいじゃないか(以下略)」…という感じで、自分の心境の変化がだいぶ大きいですね。どちらかというと、自分の見方を正したい、シンガー監督がそんなヘマやるはずがない、という気持ちが強かったので、ちょっと贔屓目に傾いたかもしれません。まあ、楽しめればいいんです…(^ ^;) 今回、あらたに「おや?」と思ったのは、スーパーマンがデイリー・プラネット社のシンボルが落下するのを受け止めたとき、その様子を撮影していたジミーがなにか発見したような演技をするんですよね。それでクラークと似ていることに気づくのかな…?と思ってたら、あとはほったらかしでした。…気になるなあ。 それはそうと、あのシーンで編集長が言う感嘆の台詞は、字幕では「すごい男だ」とかなんとかでしたが、なんとかジーザスクライスト、って言ってたんですね。(追記…聞き間違いでした(^ ^;))そのときスーパーマンが背負っていたデイリー・プラネットの看板はミニチュアの地球…掛詞的に深読みを狙った台詞だったんですね。こういう細かいところがすごくうまいです。さすがシンガー監督。原語で楽しめないのがつくづく悔しいですよ。(追記…ホントに耳で聞きとれないのがつくづくくやしいです…(笑)) 前回も思いましたが、クリプトナイト大陸(?)を宇宙へ放り出したあとのポーズとか、キリスト的メタファーがあちこちにちりばめられてますね。スーパーマン=キリストという解釈がけっこうポピュラーらしい、とは聞いてましたが、それをうまく取り入れたということでしょうか。好き嫌いはともかく、そういう映像による情報量がすごく多いので、字幕を読みながらだと見落とすところがけっこうあったんだなあ、と思いました。(老富豪のポメが共食いしちゃったところなんか、字幕がかぶってしまって見づらかった…)今回はなるべく映像のほうを見るようにしたので、前回「見なかった」ところがけっこうあって新鮮でした。でもまだ気づいてないところがあるにちがいない…。 そうそう、ジミーが編集部でわけもなくパチリパチリやるとき、なぜかクラークにズームして撮っているところなんか、ドナー版でロイスが撮られてたのと思い合わせ、やっぱジミーって「ケントさん」に気が…とまでは行かなくとも、少なくとも良い被写体だと思ってるんじゃ…?などとよけいな楽しみ方をしたり。べつにケントさんばかり撮ってるわけじゃないですけど…ていうか、あれフィルム入れてるわけじゃないですよね?フィルムの無駄ですもん。(相手に気づかれずにズームで覗いてるだけでもけっこうアレですけど…)しつこいようですが、あの「手作り復帰祝いケーキ」ってどうなのよ?アメリカ人の成人男性としてはフツーなわけ???とか。まあ我ながら勝手にほざけという感じですが…(笑)。 とにかくクラークがかわいい。クラークがもっと見たい(笑)。あのクラークは絶対モテますよね。かっこいいもの。なんでかと思ったら、顔はもちろんですが姿勢が…三枚目になってないんです。リーブ氏と比べるとまた悪いですが、リーブ氏のクラークは姿勢が自信なさげで落ち着きなくて、別人度が高いんですね。まあ、今回のクラークはボンヤリさん系とでも言いましょうか。…癒し系?(笑)メガネ男子鑑賞も楽しめる映画としてポイントは高くなったのかも。(でもメガネ男子ブームってまだ日本だけですよね?個人的には蚊帳の外ですけど…(^ ^;))…しかしクラークって肌きれいだなあ(笑)。唇なんかピンクで子供のよう。これはリーブ版でもそうでした。 スーパーマンはまたむやみに色っぽかった。いやおうなく同情してしまうような、弱みを見せるシーンが多かったので、もう腐女子…だけでなく女子全般のハートはわしづかみですね♪(登場シーンからして「気絶」ですよ。ナイチンゲール症候群誘発剤と言っても過言ではないサービスの数々。こりゃー女子受けしないわけがない!) 最後に教訓…もう、本命映画を座席に段差のない劇場で見るのはやめます…(^ ^;) |