“The Master Builder” キャスト ストーリー アリーネの主治医ヘルダールは、アリーネの精神が不安定なのはカーヤのせいだと言い、暗にソルネスの浮気を揶揄するが、ソルネスはカーヤに好意は持っていないと言う。ラグナーの婚約者であるカーヤが初めて事務所に来た時、ソルネスは心の中で、彼女がここにいてくれたらラグナーを引きとめられるのに、と思っただけだったが、翌日彼女はまるで契約したかのように現れた。口にしない願いがひとりでに叶うのは不思議じゃないか、とソルネスはヘルダールに言う。なぜアリーネの疑いを解かないのかと言うヘルダールにソルネスは、妻に冷たくされると罪を償っているようで少しは心が軽くなるのだと言う。彼はカーヤに偽りの好意を示すことで彼女を事務所に引きとめ、それによりラグナーをも引きとめようとしていた。 ソルネスの事務所へ、ヒルダ・ヴァンゲルという若い女性が訪れる。彼女は旅の途中で、以前ソルネスの妻アリーネと会い、家に訪ねてくるように言われたので来たのだが、実は10年前にソルネスに会っていると言う。ソルネスはまったく覚えていない。当時の彼女はまだ13歳で、ソルネスは彼女の村の教会に塔を建てたのだと言われ、確かに教会塔を建てたことはあったと思い出す。彼は高所恐怖症なのだが、なぜかその時は塔のてっぺんに登って風見に完成祝いの花輪をかけることができたのだ。ヒルダは、教会の完成を祝う宴会のあと、彼女の父に招待されたソルネスが、他に誰もいない居間で自分にキスして10年後にさらいに来ると言い、王国をあげようと約束したと言う。ソルネスは覚えがないが、ヒルダを落胆させまいとして「それはきっと私が心の中で望んだことなんだ」と言い、彼女の言うことをすべて認める。ヒルダは約束の10年は過ぎたわ、王国を出してちょうだい、と冗談めかして言う。ソルネスは快活な彼女に救いを感じる。 第2幕 第3幕 戻ってきたソルネスはヒルダに、神が自分に教会だけを建てさせるために他の全てを奪ったが、ヒルダの村で塔を建てたとき、これからは自由になり、人間のための家を建てることを神に宣言したのだと言う。だが、人間の家を建てることは、彼の救いにはならなかった。彼はこれからヒルダと、この世で一番素晴らしいもの=空中の城を建てると言う。ヒルダはもう一度「自由になったあなた」を見たいと言い、ソルネスは再び塔の上に登って神に向かって宣言することを誓う。ヒルダ、アリーネやヘルダール、ラグナーらが見守る中、ソルネスは塔へ登る。ヒルダは彼のそばにもう一人、彼が戦いを挑んでいる相手が見えると言い、10年前に聞いたのと同じ歌が聞こえると言うが、他の者には何も見えず、聞こえない。塔の頂上に立ったソルネスはヒルダに約束した通りに帽子を振るが、塔から落ちて即死する。皆が嘆く中、ヒルダは「でも彼はてっぺんまで登った。あたしは天上の竪琴を聞いたわ」と誇らしげに言う。誰もいなくなった塔の上に向かって手を振りながら、ヒルダは叫ぶ。「あたしの棟梁さん!」 |
![]() 事前に脚本の邦訳と英訳の一部を読んだのでストーリーはわかるのですが、今回の改訳による(と思われる)台詞のニュアンスはわからないので、今回の舞台を「見た」印象と、読んだ脚本のストーリーそのものへの感想が入り混じっておりますが、御了承ください。でも、舞台を見た印象は「原作に忠実」でした。読んでイメージしたまんまが展開する感じで、特に現代的な味付けがなされているようには、少なくとも見た目には見えませんでした。多少セクシーなシーンは取り入れられていますが、正攻法という感じです。 最初に脚本を読んだ時の印象は、とにかく「色っぽい」!それも露骨なお色気シーンは皆無で、ただただ漂っている心理が色っぽい。なんといいますか、心理のねじれ具合がそそるんであります。耐え忍ぶ男性、というのはやはり洋の東西を問わず色っぽいんでしょうか(笑)。パトリック・スチュワート、めちゃめちゃ似合うだろうなあ~♪という感じでした。 でも、一番感情移入しやすかったのはヒルダでした。やった女優さんも素晴らしかった!ヒルダにとっては、ソルネスは象徴なんだと思います。退屈な田舎にやってきて偉大な塔を建てた英雄で、自分をどこかもっと素晴らしいところへ連れて行ってくれる、なにか素晴らしい存在。彼女が憧れているのはこの「イメージ」の方なので、生身のソルネスが具体的に迫ると怖くなって拒んだりします。ソルネス自身に惹かれているのとはちょっと違う感じがしました。だからこそ、彼がラグナーの出世を阻むような卑劣なことをしているのが許せないし、彼が死んでもそれを嘆くより先に、その最後の行為が象徴する意味に酔ってしまえます。このへんの「イメージの中だけで生きてる」感じが、元・少女としては(笑)痛いほどよくわかりました。 最初脚本だけ読んだ時は、いくら子供だったとはいえ、一度キスされたくらいで10年も一人のおっさんを思いつづけるなんてあるわけないだろう!(いや、相手がパトリック・スチュワートならあるかもしれんが(笑))こりゃ中年男のファンタジーだよ~、くらいにしか思えなかったキャラですが、実際に演じられたものを見たら、別の意味が読み取れました。多分彼女の故郷は耐えられないくらい退屈で、かつ何か故郷を出るきっかけになる辛い出来事が(お芝居には出てきませんが)あったんじゃないかと思います。そのとき思い出したのが、「どこか素晴らしいところへ連れて行ってくれる」ソルネスのイメージだったんじゃないでしょうか。行動的なようでいて、自分が自由になるには「誰かに」そうしてもらうしかないと思っているところに彼女の限界があります。まあ、百年前の社会ならそれ以外になかったのかもしれませんが…。そういう意味ではとてもリアルなキャラでした。 ソルネスは、とにかく自分の罪に自覚的なのが魅力でした。ラグナーやブローヴィクに対してやっていることの卑劣さもちゃんとわかってて、自分を正当化できない程度に誠実。なぜ自分を建築家と言わずに棟梁なんて言うの?とヒルダに聞かれると、正規の教育を受けていないことを明かします。体積や強度などの「面倒な」計算はブローヴィクやラグナーに任せているので、その意味でも彼はラグナーを手放すわけにはいかないのです。罪悪感を持った上でそれを背負う、というキャラはどうしてこう魅力的なんでしょう!(笑)自分が少し正気でないことも自覚していながら、ザルで水を汲むように子供部屋を作り続ける姿勢が哀れです。妻と自分の傷口に塩を擦り込むようなこの行為を、しなくてはいられない程度に狂っていて、しかもそれを自覚しているのです。スチュワート氏の演技で印象的だったのは、ヒルダからラグナーの設計図に推薦文を書き入れるように言われて、内ポケットから鉛筆を出すシーン。本当に「魔法にかかったように」というしかない感じで、ここでソルネスがヒルダのファンタジーの世界に一歩入り込んだ感じがします。ヒルダはソルネスに救いを求めていますが、ソルネスもヒルダの幻想の人物になり切る事で現実から救われるのではと期待をし始めるように見えます。いわば幻想世界へ駆け落ちをすることに同意する、というような感じです。 色っぽさという点で言えば(笑)、6月頃の公演の話をしていたパト氏のインタビューでは(約2ヵ月の公演で、前半はバースなどイギリス国内をツアーしていました。地方では古いモラルに反する内容に反感を持った観客が、途中で出ていったこともあったそうです)実際の身体的接触はほとんどなくて、ほのめかされるだけだがすごくセクシーな芝居だ、というようなことをおっしゃっていたと思うんですが、ロンドンバージョンではかなり工夫した「接触」がありまして、お芝居が熟していったんだなー、という感じがします。ストーリーの中で「ヒルダを抱き寄せようとする」と書きましたが、私が見た時は別に肩や背中に触れたわけではなくて、彼女のスカートのベルトだけを片手でつかんでぐいっと引き寄せたんです。ヒルダ役の女優さんがまたすごく華奢なので、これまで紳士的だったソルネスの男性性が際立って、ぎょっとするくらいセクシーな効果がありました。それから、第2幕の幕切れだったと思いますが、バイキングの例え話のあと、新居の塔に自分の手で花輪をかけると言ったソルネスが去り際、ヒルダにキスするんですが…どこに?…これが腕なんです。腕の内側、手首の少し下あたりに、両腕にします。これがものすごくセクシーで、唇や頬にするよりぜんぜん効果的でした。そのあと一人になったヒルダが、キスされた腕をさすりながら「恐ろしくわくわくする…」と言って幕になりますが、これはバイキングに略奪される女たちはそうだろう、と言ったのと同じ言い回しです。客席ではここの台詞になぜか笑いが起こってたんですが、私はうっとりしておりました(笑)。 もう一人のメインキャラ、アリーネについてはちょっとつかみづらかったです。やはり微妙に正気を失っている、としか言いようがないのですが、(それを言えばメインキャラ3人はみんな部分的に正気ではありませんが)実は赤ん坊を失ったことよりお人形を失ったことの方が悲しい、と言う所で深みが出ました。泣き崩れる姿には一種の怖さがありました。でも、ソルネスとヒルダに比べるとやはり多少薄い印象でした。 ラストのソルネスが死ぬところは、実はソルネスは出てきません。ソルネスが姿を見せるのは花輪をかけるために新居に向かうところが最後で、ラストの舞台には、ソルネスを見ているヒルダやアリーネたちだけがいて、客席方向にソルネスが見えているように演技しながら、彼らの台詞だけで進行します。以前読んだ鴻上尚史さんの本で、イギリスの舞台はヘンにリアリズムづいているというのを読みましたが、こういうことなのかしら。日本の舞台だったら、客席に向かっているヒルダたちの“背後”になにか見せるとか(さすがにソルネスをそのまんま見せるとお子様っぽくなっちゃうのでなにか暗示するような形で)やりそうな気がするなー。ともかく、主人公がすでにいなくなった舞台で「石切り場の上に落ちて頭がこなごなだ!」なんて説明台詞だけで進行するので、ヘタにやると笑えちゃう危険大ですが、ああいう形式の舞台ではこうするより他にないんでしょうね。こーいうシンプルな演出だとほんとに役者さん次第って感じです。ヒルダの熱演のおかげで緊張感は最後まで持続していました。彼女はソルネスが落ちて他のみんなが顔を覆ったりうなだれたりしても塔の上方向を見たままで、「My master builder!」と叫びます。とても悲痛で象徴的な幕切れでした。 ストーリーのご紹介でははっきりと「神」と書きましたが、台詞ではソルネスは「彼」としか言いません。人間と契約する神というイメージは、やはりキリスト教圏のものだと思いますが、ソルネスの思い込みとも実際の神秘的な力とも受け取れる描き方で、こーいうダブルミーニングにはやはり一種の演劇的な興奮を感じます。深読みのしがいのある、大人が見るお芝居だな、という感じがしました。言葉はやはり大切なので、聞き取れない部分が歯がゆかったです。 |