お試し読み

BBC SHERLOCK 二次小説
ルパート・グレイヴス出演作品レビュー[その2]

(12) 便利な男

(A5・プリンタ印刷・36ページ)
00円 2013年11月発行

ちょっと珍しい警部/医者に特化した本、まさかの2冊目。
小説は『雨の日のために』続編ですが、既刊未読の方のための前説つきです。
シャーロックの死からいまだ立ち直れないジョンと、彼を支える警部のぎこちない思いやり。
今回は全年齢OK仕様スラッシュでクリスマス前の二人の小説を書いてみました。
その他ルパート・グレイヴス出演作品レビュー[その2](「その1」は既刊『The Science of Seduction』に収録)、 小説に出てきた場所のご紹介やグレジョン萌えなどの中書き入り。

 

 

Contesnts

 

(前説:当サークルのグレジョン設定)

【小説】便利な男

なかがき

【イラスト】使い勝手がいい男グレゴリー・レストレード

ルパート・グレイヴス出演作品レビュー
『眺めのいい部屋』
『ディファレント・フォー・ガールズ』
『EX エックス』
『レジェンド・オブ・エジプト』
『刑事ヴァランダー2/笑う男』

あとがき

 

実物誌面は縦書きの二段組です。

本文冒頭部分

便利な男

 ジョンはデパートの前に立っていた。黄色い紙袋を提げた人々が流れていく。名物のショーウィンドウを携帯で撮る人もいる。みんな笑顔だ。

自分で望んで来たのに、ジョンは場違いなところにいる気がした。クリスマス仕様のショーウィンドウには、ジンジャークッキーで出来た街が砂糖の雪をかぶっている。ミニチュアの街も人々の笑顔も、どこか遠い国の風景を望遠鏡で覗いているような気がする。
「――ジョン」
声に振り返ると、レストレードがいた。スポーツジャケットにマフラーをしている彼は、どこから見ても休日の父親だ。仕事のときのごつごつした感じはなかった。前に会ったときより、髪が短い。彼はいつも意味もなく苦笑している。
「待たせたか?」
「いや、今来たとこだ……」

 所帯持ちのクリスマスの買い物。そんなものにジョンが興味を示すとは、警部はまったく思っていなかった。きっかけはジョンが久しぶりによこした電話で、差しさわりのない近況を話すうち、警部がふと買い物をすませなくては、と愚痴ると、それにつき合うと言い出したのだ。
二人は人の流れに混ざって店の中に
入った。

(中略)

小奇麗なティールームに、男二人で入るなんて。心の中でぼやきながら、それでもジョンは店内を眺めて目を楽しませた。白を基調にした上品な内装に、数カ所に飾られた花や壷が明るい差し色を添えている。一人ではまず、こんな店に入ることはない。周りのテーブルもみな、同じデザインの紙袋を傍らに置いたクリスマスの買い物客たちだ。若いカップルより老夫婦や家族連れが若干多い。

 そういえばこんな店には、あいつとは来たことがなかったな…と一瞬だけ思った。一緒に飲食店に入ったことはあったが、食べるのはたいてい自分だけだった――。レストレードはメニューをジョンに渡した。
「ここのパウンドケーキはうまいんだ」
「あー、僕はいい。お茶だけにしとく」
「そうか?うまいのに。とくにラズベリーとクルミの」
椅子にもたれた警部が、慣れた様子なのがおかしかった。店の雰囲気には似合わないのに。ジョンは笑った。
「詳しいな。よく来るのか?」
レストレードはうなずいた。
「ああ、よく来てた……」
…過去形だった。言ったあとの警部の表情を見て、ジョンは地雷を踏んだと気づいた。慎重に「いっしょにクリスマスの買い物をする友人」を演じていたのに。意識して家族のことは聞かなかったのに、台無しだ。

 …どうやら警部と妻との関係は、まだ完全な修復には至っていないようだ。円満だった頃にはよく来ていたのだろうか。休日に、まだ小さな子供たちをつれて。
周りのテーブルにいる家族連れが、急に目ざわりな広告のように見え始めた。家族と折り合いの悪い者には、クリスマスシーズンはなにかとつらい。
「…もうだめかもしれないんだ」
「なにが」
「わかってるだろ」
「…僕のせいだなんて言うんじゃないだろうな?」
ジョンは冗談めかして言った。彼も冗談で返してくれたらと願いながら。…だが警部はまじめに受け取り、体を屈めて小声で言った。
「もちろん違う。これはあんなことになる前から……いや、そもそも俺達は……問題が違うだろ」
警部はジョンと同様に、明確に線を引いていた。もちろんそうだ。二人が数ヶ月前までしていたことは、二人にとっては、ほんの弾みで始まったただの気晴らしだった。間接的には、むしろ妻の浮気が警部を「気晴らし」に走らせた。そしてその後はなにもなかったように、いくぶんぎこちない友人同士を二人は演じている。
ジョンはため息をついて、小さな声で言った。
「…外泊をやめてないのか。奥さん」
「いや、それは……やめたようだ」
「やめたようだ」、というところを見ると、話し合って「やめさせた」わけではないらしい。

 ジョンには想像がついた。レストレード警部は、彼自身が思っているより…そしてたいていの者が思っているより、ずっと繊細な男だ。彼にはある種の「嗅覚」がある。相手の望みを読み、触れられたくないことを避ける。読みの深さは職業上磨かれたものが日常にしみ出た結果であり、相手の望まないことを避けるのは、彼の性分だろう。とくに親密な相手には、彼は驚くほど遠慮がちなことがあった。
妻に対しては、それが悪く作用した。実際彼女が隠そうとしている逢い引きを、彼は糾弾することができなかった。気づいているとほのめかすことすら、いまだにできなかった。

 ひょっとしたら彼の妻は、夫が当然するはずの嫉妬も怒りも見せないことを、逆に愛の冷めた証拠と感じているのではないか。そんなことが、ジョンの頭をよぎった。だがそこまで踏み込んだことは言いづらかったので、しらじらしいと思いながらもこう言った。
「…じゃあだめじゃないじゃないか」
「いや……そうじゃないんだ。なんていうか気持ちが……離れたままなんだ」
  友達なら、こんな時なんて言う?ジョンは少し考えてから言った。
「…君はどうしたいんだ」
「別れたくない。俺たち夫婦だけの問題じゃない」
  親が離婚した家庭の子供が事件に関わるのを、警部はいやになるほど見ていた。
「…わかるよ。努力してるのもわかる」
  ジョンは警部が空いた椅子に置いている紙袋を見た。レストレードは首を振った。
「…でも元通りにならない」
「元通りか…」
  ジョンはふと思い出してつぶやいた。
「…そうなる必要があるのかな」
「どういう意味だ?」
  ジョンは咳払いした。
「…ただの話として聞いてくれよ。これは回答じゃない。…僕の両親は、僕が物心ついた頃には別の寝室で寝てたんだ。でも喧嘩してるのは見たことがなかった。慰めになる話かどうかわからないけど。でも今思うと……僕とハリーのことを考えてくれてたんだと思う」
「……」
「そんな夫婦もあるよ。いろいろだ。まあハリーはああだし、僕はこんなだし、うちが理想的な家族だという気は…ないけど……」
  レストレードはテーブルに肘をつき、眉間にしわを寄せて真剣に聞き入っていた。ジョンはばつがわるくなった。自分自身は結婚したことすらないのに。
「あー…とにかく、結論を急ぐことは…ないんじゃないかな」
  お茶を濁すような言い方だったが、レストレードは額を掻きながらうなずいた。
「ああ…そうかもしれないな」

 しばし気まずい空気が流れ、注文したパウンドケーキがくると、レストレードは救いを求めるようにがつがつと食べ始めた。ジョンが想像したものとは違い、スライスしたケーキを数枚重ねたうえに、ホイップクリームとチョコレートソースまでかかっていた。ジョンは職業的な反応で数字をはじき出した。警察で働き、家にトラブルを抱え、ストレスを甘いもので紛らわせる中年男の血圧。低いわけがない。だが口には出さず、ただ紅茶をすすった。

(中略)

『…だがスクルージは、マーレイの名前を塗りつぶさなかった。看板はいまだにスクルージ・アンド・マーレイ商会だ』
  ジョンは眉をひそめて見入った。
  スクリーンに大きなドアノッカーが映った。
『…彼は、死んだ共同経営者の部屋に住んでいた』
  大写しになったドアノッカーが、CGで気味の悪い老人の顔に変わった。
『マーレイ!』
  スクルージ役の俳優がおびえた声を出した。カットが変わり、足に鎖を引きずった幽霊が現れた。

「――ジョン」
レストレードが声をかけた。信号が青に変わっていた。突然雑踏の音が聞こえだし、ジョンはスクリーンから目を離して何度もまばたきした。
「ジョン?」
ジョンはぼんやりとした様子でレストレードを見た
「…もう少し歩きたい。君はもう帰るか?」
「……」
警部はジョンの顔を見つめたあと、腕時計を見た。
「…いや、まだいい」
「じゃあ歩こう」

(中略)

「…今日は、なにか話があったんじゃないのか?」
「べつに。なんでそう思うんだ?」
「君らしくない。こんな買い物なんて…」
レストレードは足元に置いた紙袋を見下ろした。
「…退屈だったろ?」
「そんなことないよ」
「そうか?俺は退屈だった」
ジョンはふっと笑った。レストレードは一緒に笑い、すぐにまじめな顔になった。
「ジョン、俺はその…君の友達でいるつもりだ」
ジョンは遠くの暗い木立を眺めながら答えた。
「僕もそのつもりだ」
「うん、悩みも聞いてもらったしな」
警部はもう一度煙を吐いた。
「俺だって、話を聞くくらいはできる」
「なにもないよ。ただ……」
ジョンは口をつぐんだ。
レストレードはジョンを見て、たばこを落とすと踏みつけた。そしてゆっくりと、ジョンの肩に腕を回した。ジョンはあきれたように苦笑した。
「グレッグ」
レストレードは黙ってジョンの肩を抱き寄せた。ジョンは滑稽だ、と思った。暗い公園のベンチで、中年男に肩を抱かれて。…だが不快ではない。彼にはわかるんだろう。無意識に、それを望んでいることが。

 妻に対して悪く作用する彼の「嗅覚」は、ジョンにはうまく機能した。ジョンはこれまで一度も、意に反することを持ちかけられたことがなかった。ジョンにその気がないときは、警部は決してサインを出さない。彼がサインを出すのは、ジョンが一時(いっとき)なにかを忘れたい、と望んだときだ。気遣いというより本能に近く、それがサインであることすら、警部は気づいていない。

 レストレードは言いにくそうにつぶやいた。


(後略)…

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