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目次
(レビュータイトル)


  まえがき

◆特集『メッセージ』
イントロダクション
見事な昇華――脚色の工夫・小説との比較
導入部
ルイーズ
ルッキンググラスから「殻」へ
構造の「翻訳」
省かれたもの/変分原理
「ゲーリー・ドネリー」から「イアン・ドネリー」へ
この映画の「ロロ・トマシ」
「武器」
ルイーズの「知覚」
『Arrival』と『メッセージ』、そして「サピア・ウォーフの仮説」
進化の方向/「起こさない」能力
AIについて――マーク・ザッカーバーグとイーロン・マスク
ノーベル平和賞のない世界?
原作『あなたの人生の物語』

◆その他のレビュー
追悼ジョナサン・デミ/『愛されちゃってマフィア』(1988)再見
(2017年4月12日水曜日)
『モーガン プロトタイプ L-9』(2016)
【珍品】アラン・ドロンがアニメーターを演じる『デーモン・ワールド』(1986)
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『素敵な相棒~フランクじいさんとロボットヘルパー~』(2012)/今だから感じるリアリティ
『ジェーン・エア』(2011) /ストリングスの切ない響きと、絵画のような空気感
《ロバート・ショウの》(笑)『サブウェイ・パニック』(1974)❤
ナショナル・シアター・ライヴ『コリオレイナス』(2014)感想
大満足♪ カイル・マクラクランがケイリー・グラントに扮する優しいゲイ・ムービー/『ボーイ・ミーツ・ラブ』(2004)
『ロンドン・ヒート』(2012)/ロンドン警視庁特別機動隊……と、カーアクションの「音」!
ルパート・グレイヴスとティモシー・ダルトン♪ /『レジェンド・オブ・エジプト』(1999)
『アイアン・スカイ』など7本/最近見たDVDの覚え書
『アイアン・スカイ』(2012)
『007/リビング・デイライツ』(1987)
『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』(1995)
『007/消されたライセンス』(1989)
『眼下の敵』(1957)
『鷲は舞いおりた』(1976)
『トラウマ』(2004)
今さらですが……/『スタートレック・イントゥ・ダークネス』(2013)
幻影師と墓泥棒/『幻影師アイゼンハイム』(2006)と史実と原作
モンスターとゲイのメタファー/『フランケンシュタインの花嫁』(1935)

あとがき

 

本文サンプル

特集『メッセージ』

イントロダクション

「自分の作品が映画に適していると思ったことは一度もなかったし、
  特に『あなたの人生の物語』にそういう可能性があるとは思えなかった」
(テッド・チャン SYFY WIREインタビューより(1 )

チャン氏のファンの多くが、似たことを思っていたのではないでしょうか。自分もそうでした。その憂慮がこんなに感動的な形で裏切られるとは、誰が予想できたでしょうか。

見たあとあれこれ考えたくなる映画。映画の中や製作者の意図に回答を探すのではなく、そこから自分自身の思考を広げていきたくなる映画。『メッセージ』はそんな映画になっていました。SFの本質を「思考実験をすること、哲学的な疑問を吟味すること」(2 )と言いきる原作者の持ち味を、見た目には大幅に、かつ適切な変更をしながら、スクリーンへと見事に移し替えていると思いました。映画と小説は、文法も、強み/弱みも、さらに「受け手」のスタンスも違います。ですから同じ内容を、それこそ違う言語に翻訳するようなものです。今回は「名翻訳」と言いたくなる脚色でしたし、適切な外挿をして「映画としての満足度を上げる」ことにも成功していると感じました。

じつは映画化の噂を聞いたとき、ファンとして一番恐れたのは、「原作のディテール」(ぶっちゃけ私のよーな観客が一瞬おじけづく物理学のナンタラカンタラ)の扱いに足をとられ、「映画としては失敗作」になってしまい、原作ファンの「それ見たことか」的な批判だか「自分にはわかってたぜ」的な自慢だかヤケクソだかわからないよーな発言がネットにあふれるのを見ることでした。自分もたぶんそう思うだろうし、「わかってたぜ」なんて醜悪なスタンスで失望を口にする立場に「堕とされる」のは、正直ファンとして拷問ではありますまいか……しかもその公算は大きい、とさえ思っていました。

でもその恐れは、原作者自身が映画に満足しているというコメントを見てからはほとんどなくなり、日本公開を心待ちにするようになりました。そして映画は期待を越えていました。大げさでなく、「こんなこと(映画作品として見事で、かつ原作を深いレベルで理解した良心的な映画化なんてもの)があり得るなら、世の中捨てたもんじゃない」と変にひねくれた希望を感じたくらいです。(どんだけあきらめてたんだ私!(^^;))その裏にはたぶん、昨今「創作」や「コンテンツ」に対する敬意のない扱いがたくさん目に入るために、そういうことへの溜まりまくった怒りと、「好きな作品がスポイルされるのを見ても傷つかないよーだ」的な、「どうせ」と斜に構えた覚悟というか予防線(?)があったのだと思います。だからこそ、この映画は製作者のモラルと能力の問題としても感動的に、美しく映りました。「作品」が尊重されるとはこういうことだ、と感じたのです。

チャン氏は2016年8月に行われたワークショップでのQ&Aで、映画化についてファンから質問されて概略でこんなことを言っています。「小説の映画化で原作への忠実度がとやかく言われるようになったのは比較的最近のこと。『ジョーズ』や『ゴッドファーザー』でそんなことは言われてないよね。本に忠実にすることにこだわって、かえって映画として出来が悪くなることもある。だから映画は映画で独立したエンターテインメントだと考えるようにしてみて。僕はそうしようと努力してるから」(3 )

別のインタビューでは、「自分のたいていの作品は内面的なものです。出来事の多くは誰かの頭のなかで起こります」とも語っています。ディテールが大きく変わったこの映画が「原作に忠実」に見えるのは、この「内面的な物語である」ことを優先しているためだと思います。ただし「原作に忠実」であることに意味があるというより、この小説の芯が映画の芯として維持される過程で、消化・昇華され、かつ「映画として成功している」ことに意味があると思いました。映画館で感じた感慨は、とても幸福な脚色映画の誕生にリアルタイムで立ち会えた、という感慨でもありました。

さて、以下の本文では、原作からの脚色部分をアレコレほじくって、その工夫にうなっています。でも正直、こんなふうに作品を解剖してしまうような「研究」は、作品を素直に鑑賞することよりよっぽど退屈なことで、心のどこかで興ざめだとも思っています。個人的には単に映画好きで、初回はなるべく素直に鑑賞したいほうなのですが、今回は残念ながら(?)原作ファンでもあったため、最初からそういう切り口(原作との比較)なしには見られなかった、というのが正直なところです。記憶を消せればいいのですが、今回自分には普段言う意味での「映画のレビュー」はできないと思いました。(しかも今回、自分の本籍っぽい「男性キャラの萌え要素」はゼロですし(笑))

それでもう開き直りまして、作品の内と外――「原作から映画への脚色」の深掘りと、「この作品から広がった認識、触発されて考えたこと」についてランダムに書いたものをまとめてみました。前者は「なぜうまくいったのか」「なぜ"失敗しなかった"のか」という興味で「すごいなあ」「自分には思いつかないなあ」というところを拾っているので、基本的にひたすら感嘆しております。(笑)

原作との比較が主なので、当然ながら小説のディテールに触れていることをお許しください。
思い入れが少々暑苦しい箇所もあるかもしれませんが、お暇つぶしになれば幸いです。

 

*      *      *

脚注

(1) SYFY WIRE -  Arrival: AUTHOR TED CHIANG REVEALS HOW ARRIVAL WENT FROM PAGE TO SCREEN  http://www.syfy.com/syfywire/arrival-author-ted-chiang-interview 
〔ブログで拙訳にてご紹介しています。/『メッセージ』: 原作者テッド・チャンが語る小説から映画へのプロセス(リンクと拙訳)https://ushino.blogspot.jp/2017/07/blog-post_29.html

(2)The California Sunday Magazine: "The Perfectionist" by Taylor Clark  https://stories.californiasunday.com/2015-01-04/ted-chiang-scifi-perfectionist/ 
〔ブログで拙訳にてご紹介しています。/『完全主義者』テッド・チャンさんインタビュー(リンクと拙訳)https://ushino.blogspot.jp/2015/01/blog-post_25.html

(3)Speculative Visions with Ted Chiang YouTubeにてビデオ公開。自サイト内『テッド・チャン情報メモ』2016/12/4の記事にて概要をご紹介しています。

 

(後略)

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