お試し読み
History:低体温男子イアン・ワージングのハロウィーン
(オリジナルBL小説)

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◆2015年のハロウィーン。ロンドン。
一人で過ごそうと決めた歴史ライターのイアンは、街で「過去の亡霊」――かつて同棲し別れた彼――と出くわす。  心の傷が癒えないイアンが向き合う過去、そして現在が、彼の中で姿を変えてゆく――。 

・ご新規の方には独立した掌編として、前作既読の方にはイアンの過去を描く断章としてお楽しみ頂ければ幸いです。 

 

 

Contesnts

1. 《2015/ハロウィーン》
2. 《2006/ハロウィーン》
3. 《2015/ハロウィーン》
4. 《2006/ハロウィーン》
5. 《2015/ハロウィーン》

 

小説冒頭サンプル

(本文前エピグラフ)

それは歴史家と、彼の目に映る事実との
絶えまない相互作用のプロセスであり、
現在と過去との間で交わされる、果てしない会話である。

『歴史とは何か』E.H.カー


1. 《2015/ハロウィーン》

『だめよイアン。こういう日に一人でいちゃ。来なさいよ』
「予定はあるんだ。パーティーじゃないけど」
『ああ……そうだったんだ。それならよけいなお世話だった。よかったわね』
「…ありがと」
  電話の向こうの彼女は誤解したようだ。新しい恋人ができたわけじゃない。一人で街をぶらついて、食事をして、帰って本でも読む。それだって立派な予定じゃないか?
『パーティーのあと、みんなでゴーストツアーに行くの』
「仮装したまま?」
『もちろん』
「やっぱりな」
『そっちだけでも来ない? 彼氏を連れてきてもいいわよ。ジャック・ザ・リッパーの殺人現場を回るの』
「うわ、悪趣味」
 イアンは「彼氏」をわざと無視して皮肉っぽく笑った。
『人気のあるガイドよ。リッパーではロンドン一。たぶん』
「冷やかしで殺人現場なんて」
『ああもう、だからあなたは頭が固いって言うのよ。時間が経てば歴史的事実は評価が変わる。でしょ、歴史家さん』
「嫌み言うのやめてくれない?」
 イアンは苦笑しながら言った。彼女はイアンの「歴史」を知っている。その中には、歴史学の研究室を追い出されたことも含まれている。辛辣な友人はけらけらと笑った。
『リッパーはアイドルなんだから。博物館だってできたし』
「知ってるよ。記事書かされ――あれ、君だったろう。押しつけたの。その日の11時までになんて無茶な……」
『あれは任せてた人に急にすっぽかされたの。でもあなたの才能を買ったのよ。実際間に合わせてくれたし』
「よく言う。ほかに頼める奴がいなかったんだろう?」
『まあね。でもほんとは好きでしょ。いい記事だった』
「まさか。あれはあれ、これはこれ。殺人は殺人……」
『あはは。わかったわかった。その手の理屈言い出すと長いからもういい。じゃね』
 イアンはため息をついた。そして話がそれたまま電話が切れたことにほっとしていた。何も説明したくなかったから。ハロウィーンなんてなくなればいいのに。引き受けていた記事を納めたばかりで、暇なのがうらめしかった。仕事をしていれば気がまぎれたし、世話好きの友達への言い訳も楽だった。

 外は小雨が降っていた。イアンは地下鉄に乗り、レスター・スクエアで降りて数軒の古書店をうろついた。中にはハロウィーンに因んだコーナーを作っている店もあった。アメリカの古いハロウィーン・カードや、起源から書き起こした民俗学のハードカバー。セレブの仮装を表紙にした薄い雑誌。…それらに混じって、見覚えのある雑誌があった。数年前までそこで働いていた。イアンは懐かしくなって中を開いた。自分が書いた文章が目に入った。

『…現在のハロウィーンは、アメリカで発達した祭の逆輸入である。だが元来この行事は、ドルイド教の新年の始まりの儀式に由来する。この時期は現世と冥界をへだてる門が開くとされ、悪霊や死者の霊が……』

 下手くそだな、とイアンは苦笑した。やる気のないのが見え見えだ。妖精だの冥界だのというキーワードで辟易してしまった覚えがある。
 一瞬、その「辟易」しながらキーボードを叩いていた時の感覚がよみがえった。部屋の空気も。席の向こうに窓があり……といっても、隣の建物の壁が見えているだけだ……同僚が置いている、枯れかけた観葉植物が視界の端にあり、まずいコーヒーの匂いが漂って……。

 イアンは雑誌を閉じた。本当に過去の亡霊がよみがえるようで寒気がした。死んだ思い出がすぐそこに近づいてくるような。これからも毎年毎年、この日はこうなんだろうか。いやになる。
 イアンは店の奥に入り、棚を物色するうちにちょっとした掘り出し物を見つけた。とある歴史家の古いエッセイ集で、『クレオパトラの鼻』をテーマに「歴史は偶然の産物」と主張する、ちょっと知られた論文が入っている。今夜は暇つぶしにこれを読もう。過去の亡霊の影に怯えるよりはましだろう。

 カウンターで会計をしていると、ふと右手からの視線を感じた。振り向くと、通りに面したガラスドアの向こうに、長身でビジネスマン風の中年の男が立っていた。
 イアンは一瞬凍りついた。――「過去の亡霊」だ――まさかこの日に? できすぎてる。
 イアンはドアから目を離して、店主が本をポリ袋にいれる動作を穴があくほどまじまじと見た。…悪い夢かもしれない。目を閉じて開けてみた。目覚めない。
 …どこかで、当然なのだと感じた。再会するとしたらこの日しかない。朝から憂鬱だったし。さっきあんな古雑誌を手にとってしまったせいかもしれない。…どんどん思いつくことがバカバカしくなってくる。
イアンはもう一度振り返った。外の彼は通りに目をやり、姿勢を正して立っている。…僕が出ていくのを待っている。数年前によくそうしていたように。もっとずっと昔のことのようだ。本を抱え、覚悟をきめてイアンは外に出た。

「ハイ」
「ハイ」
「よくわかったね、これで」
 イアンはひげの生えた自分のあごを指ではじいた。彼と暮らしていた頃は伸ばしていなかったし、髪はもう少し長かった。
「服とバッグでなんとなく。あと、背が高くて猫背気味だし……」
 イアンは無表情にうなずいた。彼はしげしげとイアンを見て、かすかに笑顔を作った。
「ひげも悪くないね」
「嘘が下手だな。相変わらず」
「君も相変わらず……」
 彼は何か言いかけてやめ、気遣うような調子で言った。
「少し痩せたね。元気か?」
 彼も痩せたな、とイアンは思った。痩せた上に髪に白いものがあり、少しやつれて見える――それを見てどこかで満足している自分にあきれながら、イアンは答えた。
「元気だ」
「そうか。よかった」
 彼は一人でうなずきながら足元を見た。そして意を決したように顔を上げた。
「よかったら、どこかで話さないか」
 だめだ。これから友達の家に行く。ハロウィーンのパーティーだ。そのあとはゴーストツアー。そう思いながら、イアンは無愛想に答えた。
「いいよ。どこへ行く?」

 

2. 《2006/ハロウィーン》

 イアンが彼と出会ったのは、当時勤めていた出版社のハロウィーンのパーティーだった。たしかどこかの倉庫を借りて、社内の「クリエイティブ」な連中が飾りつけた妙な会場だった。仮装をしていかなかったイアンは、入り口でゆがんだ髑髏のような仮面をあてがわれた。呼ばれたDJはヤケクソなのか気を利かせているつもりなのか、最近のヒット曲にABBAやフランク・シナトラなんかを挟んでかけていた。招待客を含めて、年齢層はばらばらだった。
 テーブルの上にはケータリングのオードブルと、子供じみたハロウィーンの菓子が並んでいた。血糊のような赤いジャムをたらしたカップケーキ、墓石型のクッキー、髑髏を模して目鼻が描かれたマシュマロ。そしてあちこちにかぼちゃのランタン。風船。アメリカ風の陽気さが、何か借りた服でも着ているようだった。実際大勢がレンタルの衣装を着ていた。長髪の海賊の仮装が、定番の魔女より多かった。そんな年だった。

(後略)

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