お試し読み
Frankensten National Theatre Live Review

 

目次

まえがき
データ(おもなスタッフ・キャストなど)
原作からの改変
ショートフィルム
開幕―怪物誕生
インゴルシュタット~森の中
物乞い
盲目の老人
ウィリアム殺し
創造主との再会
スコットランド
婚礼の日
北極―閉幕
参考文献
あとがき

 

 

実物誌面は横書き一段組です。

本文サンプル

まえがき

二月についに日本上映が叶った舞台『フランケンシュタイン』のライブビューイング(収録映像の映画館上映)。ベネディクト・カンバーバッチ、ジョニー・リー・ミラーがヴィクター・フランケンシュタインと怪物を入れ替わりで演じた、二つのバージョンを見ることができました。(嬉しいことに再上映も決まり、ほかのナショナル・シアター・ライヴの上映も続々と続くそうですね。楽しみが増えました!)

この冊子では、ブログ用に書いた最初の印象をベースに、全体を振り返ってみました。二つのバージョンで大きく違うところは具体的に比較しています。その後脚本も手に入り、ブログではうろ覚えだった台詞も確認できたので、あらたにテキストそのものからわかったこと、その他を入れて書き直しています。適宜原作との比較もしていますがなるべく最小限にとどめ、今回の舞台についての印象をまとめることを優先しました。
(なので、ネタバレといえばもちろんそうです。ご了承ください(^^;))

薄い冊子で個人の印象をまとめたものにすぎませんが、ご覧になった方・これからご覧になる方のご鑑賞後のお供に、ご都合でご覧になれない方の想像を楽しむタネとして、読み流していただけたら嬉しいです。素材が大好きなフランケンシュタインということもあり、字ばかりでごちゃごちゃと書いておりますが、のんびりおつきあいくださいませ。

("Creature"は「怪物」では当てはまらない部分もあるのですが、上映が「怪物版」「博士版」と表記されていたこともあり、ここでは「怪物」で統一しています。また、引用している台詞に添えた日本語は英語脚本からの拙訳で、劇場上映時の字幕とは異なります。あらかじめご了承ください。)

* * * * * * 中略 * * * * * *

創造主との再会

雪のモンブラン山中で、ヴィクターと怪物が再会する。ヴィクターは怪物を殺そうとするが、怪物が持ち出した女の怪物を作るというアイデアに魅了され、作ることを約束する。

怪物を探してモンブラン(前のシーンでウィリアムに「友達になって一緒に登ろう」と話していた山)に登ってきたヴィクターと、怪物が出会います。怪物は舞台左手手前に傾斜をつけて造られたセットを、手すりをさーっと滑って登場します。怪物が完璧なバランスで機敏に動いているのを見て、最初ヴィクターは来た目的を忘れて喜びます。弟を殺されたことより、自分の実験がうまく言ったことで頭がいっぱいになっている瞬間です。その後しゃべることにも驚き、彼らは会話をします。

"I have come to kill you!"
"To kill me? Why then did you create me?"
"To prove that I could!"
"So you make sport with my life?"
「僕はお前を殺すために来たんだ」
「俺を殺しに?じゃあなぜ俺を作った?」
「作れることを証明するためだ!」
「それで俺の命をオモチャにするのか?」

ヴィクターは、お前は実験の産物で実験は失敗だから葬らなければならない、と言います。話す怪物を目の前にしても人間とはみなさず、かつ自分はお前の主人だから敬えと言ってのけます。かつて放り出したのにです。怪物は、自分は奴隷ではない、自由だと言い返します。どう見ても怪物のほうが理屈が通っています…。
二人の会話の中で、怪物が『失楽園』を気に入ったと言うところがあります。(客席の笑いをとってました(笑))、ヴィクターは「アダムに共感したのか」と聞きます。創造者の驕りというか、「最初の人造人間」の栄誉に浴している怪物が、「最初の人間」であるアダムに共感するんじゃないかと、自分がした扱いを忘れてお門違いの期待をしているようにも思えます。このへんにもヴィクターの自己中心的な未熟さが表現されてるように見えました。(原作でも失楽園についての話は出ますが、怪物の語りだけでヴィクターの質問はないので、このヴィクターの傲慢さのかすかな表現も、今回のオリジナル要素ですね)怪物はサタンに共感したんだ、と言います。

余談ですが、『失楽園』をペラペラ見ていたら、サタンが落とされた地獄で作られる宮殿の天井の描写が、冒頭で触れた天の川のような照明セットにぴったりでした。

…弓形に湾曲している天井からは、
石脳油(ナフサ)や瀝青油(アスファルト)を燃料とする星さながらの燈火(ランプ)や
煌々たる吊り燈火(クレッセント)が、摩訶不思議な力によって無数に
垂れ下がり、空から射してくる光と紛うばかりに
あたり一帯を照らし出した。
(ミルトン,平井正穂訳『失楽園(上)』岩波文庫 第一巻726-729)

偶然かもしれませんが、どこかでイメージが繋がってるのかなー…とも思えます。

閑話休題、怪物はある老人から言葉を習ったと言い、最終的には焼き殺したことまで話します。ヴィクターは良心の呵責はないのか、と聞きます。

"Remorse? When I walk through a village,
the children throw stones.
When I beg for food, they loose their dogs.
What is the function of remorse?"
"I'm sorry, I -"
"Sorry? You're sorry? You caused this!
This is your universe!"
「良心の呵責?俺が村を歩くと子供らが石を投げる。
食べ物を求めると奴らは犬をけしかける。
良心の呵責なんてなんのためにあるんだ?」
「すまない、僕は…」
「すまない?すまないだって?お前がこうしたんだ!
これはお前の世界だ!」

この「これはお前の世界だ!(This is your universe!)の言い方も、ミラーとベネさんではとても違っていて面白かったです。ミラーはヴィクターを糾弾するようにリアルに叫び、ベネさんは舞台劇的な「聞かせる」台詞として朗々とやっていました。聞き惚れました…。

怪物に伴侶を造ってほしいと言われたヴィクターはいったん拒絶するものの、だんだん「美しい女を造る」という「チャレンジ」そのものに夢中になります。ここのやりとりは見ものでした!ヴィクターがだんだん高揚していくのがよくわかります。そこでは怪物の存在も目に入らなくなっています。女の怪物を作ることを約束し、怪物と握手までします。怪物は握手の意味を知らないので、こうして契約を取り決めるんだと説明します。ここまでしておいて裏切るのですから、のちの怪物の恨みもわかろうというものです…。
仕事をするためイギリスに行くというヴィクター…それを話すために父の部屋に入り、居合わせたメイドに「出て行け(Out.)」というときの態度がすごく不遜に見えて印象的でした。(とくにベネさんのヴィクター)使用人に対する態度ですから当然ではあるのですが、その直前で、お悔やみの手紙を運んできたメイドと父親が、身分はちがうものの人間同士の感情を見せる会話(「主は与え、主は奪うのですわ」「わかってるよ、クラリス、わかってる」)をしていたのと対照的で、目の前に人間がいると意識してない感じでした。ヴィクターという人はつくづくこういう人なんだ、と思えて効果的でした。

弟の葬儀にも出ず(生き返りませんよ、というこの言い草!)イギリスに行くというヴィクターに父は嘆き、婚約者エリザベスは一緒に行きたいと言いますが、結局はヴィクターの希望通りに一人で行かせることになります。
ここではエリザベスが知的なのが印象的でした。彼女は世界を見て回りたいと言い、ヴィクターの研究にも興味を示します。音楽や政治についても話したいと言いますが、ヴィクターは音楽や政治には興味がないと言います。そしてヴィクターのような教育を受けていない彼女が知るはずもない「科学的」知識を並べたて、これを知っているのかと意地悪を言います。はっきりと女性を蔑視しているし、この人にとっては男性でも自分以外のものは蔑視しているのかもしれません。

* * * * * * 後略 * * * * * *

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